不定期連載 OSD事務局マネの『長い自己紹介』第6回 | 一般社団法人OSDよりそいネットワーク

不定期連載 OSD事務局マネの『長い自己紹介』第6回

第6回 名ヶ山小学校

 みょうかやま小学校と読む。新潟県十日町市という県内でも有数の豪雪地帯で、雪まつりでも知られるところ。名ヶ山小学校は父が校長になって最初の赴任地で、昭和48年4月から昭和51年3月までの3年間勤務していた。

 俺が小学2年の夏休みに、この小学校まで連れて行ってくれたことがある。当時はまだ舗装されてなく、ガードレールもなかったので、学校に行くまでの山道はけっこうなスリルがあった。

 冬の間は毎日通勤できないので、土曜の夕方帰ってきて日曜の夜出て行くという生活が2シーズン続いた。リュックサックに1週間分の着替えを詰めて、橇(かんじき)をぶら下げ、懐中電灯を持って出ていく後ろ姿を見て「この人はどこに行くのだろう?」と幼稚園児の俺は思った。用務員さんの家に下宿していたらしい。3年目の冬は土日にスキーに連れて行ってもらったこともあるので、車で通えるようになっていたのだろう。

 2018年の越後妻有アートトリエンナーレを見に行った時、名ヶ山小学校に行ってみたいと思い、まず『鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館』に立ち寄った。廃校になった小学校が田島征三さんの作品で埋め尽くされた美術館に生まれ変わり、とても楽しめる空間になっていた。

(鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館、2018年)

 ここの受付の方に名ヶ山小学校の住所と道順を教えてもらい探してみた。美術館から舗装された山道をさらに登って行ったところに、あった。俺が小学生の時は木造だったので当時見た形とは違うが、なぜか校舎が残っていることに安堵した。ここにも作品を置いてくれればいいのにとも思ったが、かなり登るので使い勝手が悪いのかもしれない。

(名ヶ山小学校、2018年。撮影:間野亮子)

 俺を将来教員にしたかったわけではないと思うが、父は自分の赴任先の小学校に時々連れて行ってくれた。小学3年生の時には栃尾の下塩小学校に、もっと幼い頃には三条市の三条小学校に連れて行ってもらった記憶がある。職員室から見たグラウンドが幼稚園児にはやたらと広く見えた。

 俺は父のことが好きであり、いい思い出もたくさん残してくれた。だが、ひきこもりの兄がいたことで、父の職業については軽蔑とまでは言わないが、好きではなかった。この二律背反する気持ちが長く続き、俺の教師嫌い、公務員嫌いは徹底していたのだが、2016年の秋に父と劇的に和解してからは、その気持ちも変わっていった。

 父が不在の昭和48年の冬は、兄が中学3年生、俺は幼稚園の年長組。このことが兄の進学に影響があったかどうかはわからない。あったかもしれない。