第4回 母の趣味
母は写真を撮るのが好きで、よく兄弟を並べて撮っていた。生まれてこの方仲がよかったためしのない兄弟だが、意外にも二人並んだ写真が多く残っている。
写真は昭和47年1月。兄が12歳、俺が4歳の時のもの。この年の1月はまだ雪が少なかったようだ。母は必ず順光で撮りたがるのでまぶしくてしょうがなかった。
母は兄にも弟にも丁寧にアルバムを作ってくれていた。俺のアルバムもきれいに作られているが、兄は一人目の子供だからかより丁寧に、写真とは別にその時の生育状況が細かく記されている。たとえばこんな感じ。
昭和34年8月22日「6カ月半。お膳に長時間つかまり立ちができる。ひょっとした調子にひっくり返って頭を打って泣く。お座りもできる。腹這いもできる」
昭和35年3月「遂に常に注意していた階段から落ちる。庭野医院に連れて行く。別に異常なし。頭に血がにじんでいたが元気なのでなんでもなかったらしい。その後も四回落ちたがなんでもなかった」
昭和36年1月8日「もうすぐ2歳。だいぶ言葉が話せるようになった。手袋→ぶく、葉書→はがち、座布団→ポン、みかん→あかん、あったかい→あかたい等、間違った発音もある」
昭和36年6月10日「時々一人で外に出掛ける。先日も見えなくなり大騒ぎ。畳屋さんに腰掛けて仕事を見てた。以来迷子札をつける」
昭和38年8月14日「東京タワー、上野動物園に行きました。象さんが二匹とも大小便をするのが印象に残ったようです。夏休みの絵日記に一番楽しかったことを書く欄があり、聞いてみると象さんのウンコとオシッコと言ってました」
容赦なく歴史に残す母だが、いま読み返してみると微笑ましく感じる。
弟の俺は幼稚園に上がる前から床の間にあるアルバムを見て “思い出に浸る” ということを楽しんでいた。ある時自分が写っていない兄のアルバムを見つけて早くも嫉妬という感情を覚えたが、“オレ弟だしな” と納得するのも早かった。なにしろ8歳違いの兄弟である。俺の知らない家族の歴史があって当然だ。
残念なのが、俺が生まれる前の話ができる人がいなくなってしまったこと。正直に話してくれそうな父は2017年2月に死んでしまった。母は93歳要介護4で、アルバムを見せながら聞けば話してくれるかもしれないが難しい。兄は元気になったが、昔話をするのはまだ躊躇する。
そういえば、父、母、兄ともに昔話をするということはほとんどなかった。母からはあたりさわりのないことをわずかに聞いたくらい。兄から昔の話を聞いたことは全くない。俺から家族に聞くこともなかった。聞いてはいけないということもなかったと思うが、聞かない方がいいのかなと勝手に思っていたところもある。子どもなりに空気を読んでいたのかもしれない。
父からは後年、戦争中のびっくりすることを聞いたのだが、その話はまたいずれ。