会長ブログ№1~自分で考え実行するようになったけれど | 一般社団法人OSDよりそいネットワーク

会長ブログ№1~自分で考え実行するようになったけれど

カウンセリングの勉強を始めたのは40代でした。
長男が大学へ入り、母親としての自分は、もういらない存在だと感じたからです。
「空の巣症候群」のような状態だったのかもしれません。

しかし、カウンセリングの勉強をはじめた元々のきっかけは、30代に遡ります。

1960年代後半、1ドルが360円の時代です。
夫が渡米することになり、私も一緒に、アメリカ南部のバーミンガムという都市へ行きました。
そこでは夫の仕事仲間の奥さんたちと交流したり、一緒に過ごすことがよくありました。

まず驚いたのは、夫と一緒に食事に招待された日のこと。
レストランのウエイターは、招待客の夫ではなく私に、
「何が食べたいか、お肉の焼き方はどうか」などを矢継ぎ早に聞いてきました。
私は何も答えられず、黙ているだけでした。


日本にいる時、レストランでの注文は夫の役割。
夫の後について行き、夫の言うことを「はいはい」、と聞いていないと「でしゃばり」と言われてしまうので、夫に従っていればよかったのです。
しかし、あちらではそうはいきませんでした。

あなたはバカなの?と怪訝そうに言われ・・・

またある日、スウェーデン人の奥さんが、「MS.イケダは何が出来ますか」と聞いてきました。
が、何が出来るか思いつかず、(人に言えるほど)出来るものなどないので、
「何も出来ません」と答えました。
すると彼女は驚いて、「そう、あなたはバカなのね」と言われてしまいました。
私は何と答えれば良かったか、考えてしまいました。

当時の日本では、女性が自己主張するなんて、考えられませんでした。
「私は〇〇が食べたい」とか、「私は〇〇ができます」なんて言ってしまったら、変な人だと思われてしまったでしょうから。

しかし、ここ(米国)では違いました。自分の意見をきちんと言えない人は「バカだ」と言われ、相手にされないのです。
そこで私は、生け花をやってみようと思いました。草月流を少しやったことがあったからです。今度、同じことを聞かれたら、「生花」と答えよう、と。

そしてある時、グループを仕切っているミセスに声をかけられました。
「あたなは何ができるの?」
さっそく、「生花です。」と答えたところ、
次回の会合はMS.イケダの生花をみなでやりましょう、ということになったのです。
枯れ枝や石ころ、剣山、深皿を持っていき、皆に草月流のノウハウを説明して、大変好評でした。

フリー素材です

そして、最初は夫に聞いていたメニューなども、だんだんと自分で考えて言えるようになりました。

私自身が変わってきていると感じ、
帰国するころまでには、
自分で考え、実行するようになってきていました。

そして2年後に帰国。
父母会にて、PTAをやる方はいませんか、と先生が尋ねたので、
「私やります」と手を挙げたところ、
周りの皆はお互いを見合い、一瞬、変な空気になったことを鮮明に覚えています。
自分から立候補するなんて、変わり者、ということでしょうか。

続く

【これまでのブログ】

・池田佳世名誉会長のブログが始まります