第15回 やればできたのに
前回のブログで(第14回参照)、兄と話ができなくなったきっかけについて書いた。
祖父母が来た時に母が言った「やればできたのに」という言葉は今でもよく覚えている。母はその後しばらくの間「あなたたちはやればできるんだから」と言うのが口グセになっていた。実際はそれほど頻繁に言われなかったかもしれないが、とにかく記憶に残っている。

(昭和38年8月、東京タワーの前で。母、祖母、兄)
「やればできたのに」と母が言ったのは、もうちょっとがんばれば第一志望校に合格したのに残念だという母の正直な気持ちを言ったのか、兄の能力が低かったわけではないことを祖父母に訴えるために言ったのか、母なりに兄を庇うための言葉だったのか。さらにその後言っていた「あなたたちはやればできるんだから」という言葉にはどんな意味が含まれていたのか。兄弟が劣等感を持たなくていいように母なりに気を使った言葉だったのか、やればできるんだからちゃんと勉強しなさいという叱咤激励の言葉だったのか、やればできるんだから親に恥をかかせるなという圧力だったのか、いまとなってはわからない。
祖父母が来た時に母が言った「やればできたのに」という言葉は兄のことだけを指しているが、その後度々言われた「あなたたちはやればできるんだから」という言葉には、弟の俺のことも含まれているので意識せざるを得なかった。
そういえば「やればできるんだから」と口グセのように言っていた割には「勉強しなさい」と怒鳴られたり「勉強しないといい学校に行けないよ」などと脅迫まがいのことを言われた記憶はない。「宿題は?」と聞かれたことは時々あったが。
こんなエピソードがある。事件後のある月曜日の夜、母に無理矢理漢字ドリルをやらされて、半ベソかきながら鉛筆を握っていたことがある。俺は父といっしょに水戸黄門を見たかったのでよく覚えている。
これもそういえばなのだが、漢字ドリルを無理矢理やらされたのはこの時1回だけだった。真相はわからないが、母は父から「無理矢理やらせても身につかない」というようなことを言われて1回でやめたのではないか。第8回のブログで少し触れたように、母だけでなく父からも「勉強しなさい」と口うるさく言われたことはない。
母に「あなたたちはやればできるんだから」と言われて、自分のことよりも兄がどう思っていたのかとても気になっていたのだが、祖父母が来て以来、兄と話ができなくなってしまったので聞くこともできず、今もわからないままだ。
弟の俺は「やればできるんだからしっかり勉強しなさい」とも受け取ったし、「やればできるんなら今はがんばらなくてもいいや」とも解釈していた。どちらの考えも俺の中にはあって、日替わりで受け止め方は都合よく変わっていた。
ひょっとしたら兄は弟以上に「やればできるんなら今はまだやらなくてもいいや」と考えたかもしれない。なぜなら兄は高一高二とたいして勉強する様子もなく、のんびり過ごしていたから。三年でやっと受験勉強をやり始めたようだがやはり落ちて、一浪して関東の聞き慣れない工業大学に進学した。
たとえば「あなたたちはやればできるんだから、あせらずしっかり勉強しなさい」などと言い切ってくれれば兄弟共に健康的に育っていたかもしれないが、「あなたたちはやればできるんだから」で終わってしまうと、母の言葉の真意がわからず相手の腹を探るような人間に育ってしまうのだが、そんな自分が子どもの頃からイヤだった。
過去回はこちらから
第14回「1974年、春」
第13回「1988年、秋」
第12回「兄にお礼を言われた話」
第11回「兄と写生に出かけた話」
第10回「トランジスタラジオ」
第9回「母の介護と義父の介護」
第8回「調子に乗った話」
第7回「ドラえもんを求めて」
第6回「名ヶ山小学校」
第5回「主な登場人物の紹介」
第4回「母の趣味」
第3回「兄の近況」
第2回「大橋史信さん」
第1回「ごあいさつ」