第5回 主な登場人物の紹介
連載5回目にしてようやく登場人物の紹介。父、母、兄、俺の4人。
父、間野右二。大正13年9月、新潟県古志郡大田村虫亀(現長岡市山古志)生まれ。虫亀は祖母の実家。2004年(平成16年)10月23日に発生した中越地震の被災地でもある。昭和14年3月、南荷頃尋常高等小学校高等科卒業。昭和20年9月、新潟第一師範学校本科卒業。師範学校は昭和21年3月卒業予定だったが、終戦後の人手不足で半年繰り上げての卒業ということになったらしい。もう死んでしまったので詳しいことはわからない。卒業後すぐ北魚沼郡広瀬村中学国民学校に赴任。県内の小中学校に何校か勤務し、昭和60年3月31日、俺の高校2年生が終わる時に退職。受勲は辞退。生きていれば今年100歳だが2017年(平成29年)2月に死去。
父は7人兄弟の長男なのだが、分家の長男なので右二(ゆうじ)と名付けられたようだ。1回教員をやめて昭和24年10月から28年3月まで横須賀市の平和工業株式会社に勤めているのだが、これが母の結婚と関係あるかはわからない。
母、間野美恵子。昭和5年12月、神奈川県横須賀市生まれ。父と見合いで昭和32年12月に結婚。結婚するまでは新橋の会社まで通勤していたらしい。当時は片道何時間かかっていたのか?
兄、間野克比古。昭和34年2月、新潟県十日町市生まれ。ここの生まれなのは、当時の父の赴任地が十日町市の新座小学校だったため。
間野成。昭和42年7月、新潟県長岡市生まれ。このブログの書き手。
写真は昭和45年10月25日のもの。父の後ろには百科事典が並んでいる。兄と俺の後ろにあるのは金魚の入った水槽。南向きの窓からは暖かそうな日が差している。
ここに父と母が家を建てたのは昭和39年。俺はまだ生まれていない。
この写真をお見せしているのは当然理由があり、実は家族4人で写っている写真はここまで。親戚一同で写っている写真もあるが、4人で写っているのはここまでしかない。つまりこの後何かあったということなのだが、かなり長くなるのでその話もまたいずれ。